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空飛ぶジュラルミンの筒に押し込まれて12時間余り。区役所で住民票をとるほうがまだ煩雑だと思わせる簡便な入国手続きを終え、わたしはローマの空港を後にしました。

ちょっと前まで、ローマの国際空港はレオナルド・ダ・ヴィンチ空港と呼ばれていました。イタリアが誇る万能の天才に、国を挙げて敬意を払っているということなのでしょう。ところが、現在では空港のある地名を取ってフィウミチーノ空港と呼ばれるようになっています。改名ということでユリウス・カエサル空港とかチッチョリーナ空港となるならともかく、どうしてただの地名で呼ばれるようになったのか、非常に不思議です。

その代わりと言うべきかどうか、空港からローマの鉄道の玄関口テルミニ駅をノンストップで結ぶ列車は《レオナルド・エクスプレス》と名付けられています。全車両一等車なのにエアコンはやる気ナシ、ノンストップ便のくせにつまずいたようによく止まる、デッキが高くて乗り降りは非常に不自由、車体はスプレーの落書きだらけ……と、これからイタリアという偉大な国を堪能しようと思っている旅人たちへの《名刺代わり》の交通機関です。


何かと手を焼かせてくれたレオナルド・エクスプレスも30分程度でテルミニ駅に到着します。到着ホームは28番線か29番線。地の果て、東京駅の京葉線ホーム並みです。荷馬車のように荷物をひく旅人たちにおかれては、出発、到着とも時間に余裕をもって行動されることをおすすめします。

ローマの鉄道の玄関口テルミニ駅は2000年に大改装工事を終え、とても明るくて使いやすい駅になりました。それ以前に訪れた時は行き交う人々がみんな悪い人に見えたのですが、今では皆様、陽気なイタリアンという風情です。ガラスを多用して自然光を採り入れ、吹き抜けになり、非常に広々と感じますので、置き引きに荷物を取られても全速力で追いかけることが出来ます。

駅の真ん前は『500人広場』。タクシーの発着場とバスターミナルとなっています。タクシー乗り場はいつも給料日直後の深夜の新宿駅のような長蛇の列。バス乗り場はひっきりなしにバスが発着していますが、イタリアンは車など速く走らせるものと思っていて、当然のことながら、バスを例外にするつもりはないようです。あれで人をつぶさないのが不思議で仕方ありません。


テルミニ駅を出ていきなり現れるのが2600年前に建造された『セルヴィウスの城壁』の残骸。500年に渡ってローマを守ってきた分厚い壁ですが、「ローマは外壁ではなく国境線により守られるべきものだ」と言ったユリウス・カエサルの命で破壊されてしまいました。その後ローマは300年間の長きに渡って外壁なしで過ごすことになります。この壁にまつわるエピソードを読むと、ローマ人の平和と秩序についての考え方がよく分かります。

ローマは《世界最大の野外博物館》です。市内のあちこちに散らばる遺跡、教会などはそれぞれの時代の証人であり、かつて存在した世界に生きた人々の生活や思想を想像する碑でもあります。通りを越えれば古代ローマから中世まで1000年くらいの時間をひとまたぎ、などということはザラです。

そのような《人類の遺産》がひしめくローマの中で、ローマを《人類の遺産》たらしめることになった古代ローマの心臓部がフォロ・ロマーノ(フォールム・ロマーヌム)です。司法、経済、そしてもちろん政治の中心地としていつも大変な賑わいで、様々な《歴史》がここで創られました。




元老院議場で愛人にラブレターを書くカエサル、病弱なのでいつも蒼い顔をしているアウグストゥス、何かと弱気で《泣き虫》とあだ名をつけられたキケロ、自作の詩の演奏に熱を入れる太ったネロなどなどが歩き回っていたシーンを想像するだけでわくわくしてきます。

そして、ローマと言えばコロッセウムと言うほど著名な遺跡。今ではコロッセウムなしではローマの風景は考えられないほど、ハマりにハマっている建物です。今日も変わらず、蟻が蟻塚に群れるように、観光客が建物を取り囲んでいます。

第9代皇帝ヴェスパシアヌスの建造で、正式名称はフラヴィウス円形劇場。ヴェスパシアヌスの家門名がつけられています。ローマにあるこの円形劇場だけがコロッセウムと呼ばれていますが、それは当時ネロが自分を模した巨像(コロッスス)がすぐ近くにあったからです。ちなみに、ヴェスパシアヌスはネロの死後、その像は破壊しませんでしたが、顔の部分は何かと問題の多かったネロのものから太陽神に変えさせたそうです。

現在目に出来るのは往時の三分の一の規模。壁面に飾った白亜の大理石、一つ一つのアーチ型の空間部にしつらえられた彫像、今ではどうやって使用していたのか分からない開閉可能な雨……全てありません。皆無。時代が下るにつれて建築資材にとあれやこれやとはぎ取られて、骨組みだけになってしまいました。

その骸骨のような……といっても隆々として荘重なコロッセウムを背に幅の広い道路を歩くと、やがて右手側に代々の皇帝たちが競って創っては市民に寄贈したフォロの遺跡群が見えてきます。《アウグストゥスのフォロ》、《トライアヌスのフォロ/トライアヌスの市場》、《ネルヴァのフォロ》などなど。

トライアヌスのフォロには記念柱が建っています。彼が指揮して戦ったダキア戦役の場面を《大理石に掘られた戦史》です。ちなみにダキアとは現在のルーマニア地方のこと。あの地にラテン人が多いのはこの時の戦役と、その後の属州化に端を発しています。

ところで、コロッセウムからローマ交通の要衝であるヴェネツィア広場までの約1.5キロを結ぶ《幅の広い道路》の名前は《フォーリ・インペリアーリ通り》。あのムッソリーニがヒトラーのナチスには出来ない芸当……偉大な文明の遺跡をバックに軍事パレードを行うという夢を実現させるために敷かせた道路なのです。

そのせいでこの辺りにある遺跡の85%が道路の下に埋まったままだと言われます。交通の便はよくなったようですが、世界の遺産を後世に遺すということかけては論外。道路を撤去するわけにもいかず、サーキットと勘違いしているバス、タクシー、一般の車、スクーター、パトカーなどの運転手各位がスピードを競う重要幹線となっています。

こんな無粋な道路が出来てしまうと、当時は壮麗だったこの界隈を想像するだけでも大変な作業です。まだこの道路がなかった時代のゲーテでさえ、こう言っています。

『ローマを旅するには、肉体の目だけでなく心の目も必要である』

分厚い歴史が駆け抜けた街を楽しむには、全身全霊を傾ける必要があるようです。

続きは次号後編で…






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